そしてとは?/ レイク
[ 69] ITmediaニュース:ひろゆき氏が語る「電車男」「のまネコ」そして今、注目のネタ (1/3)
[引用サイト] http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0512/16/news033.html
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2ちゃんねるから発信された情報は、良きにつけ悪しきにつけ頻繁にニュースとなり、マスコミをにぎわした。本質的にカオスであるとされるインターネットを、象徴するような存在。そんなサイトの管理人である西村博之(ひろゆき)氏に、今年起こった出来事を振り返ってもらった。 ──2005年を振り返るにあたり、やはり避けては通れないのが「電車男」のブームでしょう。2ちゃんねる発のこの純愛物語は、書籍化され、映画化され(6月10日の記事参照)、ついにはテレビドラマ化され、いずれも商業的に一定のヒットを収めました。 ひろゆき 映画は、なんとかなるだろうと思っていたんですよね。小説を、2時間の映画にしただけだから。しかしテレビは、12話に無理やり広げて、それでいて視聴者にそれなりに受け入れられるものにした。テレビ局は、すごいなと思いましたね。 ──「僕が書いた話ではない」というコメントが出たので聞きますが、電車男はヤラセではないのか、という話題もありました。 例えばある大手新聞社は「電車男の書き込みをしたのは、ひろゆき氏本人ではないのか」という可能性を調査して記事化しました。ひろゆき氏が黒幕である可能性をにおわせつつ、真相は不明だと“余韻を残して”締めた記事です。記事ではひろゆきさん本人のコメントも掲載されていましたが……。 その新聞の記事も、多分、そういう筋書きで記事を書きたいんだということは分かっていたから、取材を受ける気はなかったんですが。たまたま時間があったので「新宿でスシをおごってくれるなら」という条件で取材を受けたんですけどね。 ──(その口ぶりでは)ひろゆきさんは、電車男ではない、と。ただこの疑惑は一部で根強い人気があるようで。取材先で、電車男の話になったときに「あれって、実はひろゆきさんに近い筋の人間がシナリオを書いていたんですってね?」と、声をひそめて言われたこともあります。 ひろゆき その「近い筋の人間」って、誰なのか知りたいですけど(笑)。そう思ってもらえる方が、面白いかな? 期待をしてくれる人がいたほうが。 ──ある時は“これが電車男とエルメスだ”と銘打って、とあるカップルの写真がネット上に出回りました。男性のほうは真面目そうで、なるほどこれが電車男かもしれないと思わせる写真でしたが。 ひろゆき あれは(写真を撮られた人たちが)かわいそうだなと。電車男さんは実際に会ったことがありますが、割と素朴な人です。エルメスさんは会ったことがないんですが、写真の男性は電車男とは全然別なので。 あの時「これは電車男とエルメスの写真じゃない」とコメントしたとしても、それ自体がニュースになって、余計写真が広まってしまうかもしれない。だから、普通に放置していたんですけどね。(あの写真の2人は)街を歩いていて、指差されたりしてるんじゃないですか、きっと。 ──いずれにせよ、2ちゃんねるが“裏のメディア”だとすれば、電車男をきっかけに2ちゃんねるのコンテンツがテレビや映画といった“表のメディア”に露出してくる機会も増えました。その延長線上に、例の「のまネコ騒動」(9月9日の記事参照)があったように思うのです。 FCC、緊急時のテキストメッセージ網構築を承認火事や地震、テロなどの緊急事態発生時に、携帯電話加入者にテキストメッセージを送信するシステムが米国で導入される。 マイケルの代わりに、自分の3Dアバターで「スリラー」ビデオ出演マイケル・ジャクソンの「スリラー」25周年を記念して、自分の顔写真を使った3Dアバターをビデオクリップに組み込めるキャンペーンが始まった。 |
[ 70] ねじを巻け、そして服を脱げ。 - livedoor Blog(ブログ)
[引用サイト] http://blog.livedoor.jp/lan_evo129/
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昨日の日記でも書いたように、三月に入ってから盆と正月とリオのカーニバルが一緒にきたような忙しさが続いていて、なかなかブログを更新することもできなかったわけですが、最近ようやく少しずつ余裕が出てきてふと振り返ったときに、忙しさにかまけていろいろなことを中途半端なままにしていることに気付きました。 例えばそれは無謀とも思えた禁欲生活の顛末であったり、去年の夏からしこしこと書いていた大嫌いなネット小説もどきの続きであったり、あるいは送れないままになっているネジデミー賞の商品であったりするわけですが、そろそろそれらを何とかしなければならない、まぁ今はやりの宮崎風に言うとどげんかせんといかんとか何とか、そう思うわけです。 本当は忙しくてももう少し更新頻度を上げて、せめて週一くらいで日記を書いていきたかったのですが、昨今の芋づる式忙しさはそれすら僕に許してはくれませんでした。その間桜が咲き、そして散り、友人が結婚し、ある人はブログをやめると言い…そんな中で僕は社会人三年目になり、妙にAKB48が気になり始めながらも、僕だけがまるで川底にひっそりと沈んだ苔むす岩のように、世間の流れからとり残されてしまっていました。本当はそれらの事柄に対してひとつひとつ丁寧に日記を書いていきたかったのに、僕ったら忙しさにかまけて怠けて、バカ!僕のバカ!日記を書かない僕なんて、ギャルじゃないギャル曽根みたいなもんじゃないか!それなのに!僕ったら!その間「待ってます!」「楽しみにしてます!」「おっぱいの写真送ります!」って言ってくれた人に申し訳ない。桜色した乳首やらたわわなGカップやらの写真を送ってきてくれた人に申し訳ない。返事できなくて申し訳ない。今から返事するからもっとそういうのください。 でも、やはり忙しいときは精神的に余裕もなくなってどうせろくな日記を書けなかったんだろうな、とも思います。だってオラは人間だから(ジェロニモ)。 人によって日記(この場合ブログないしはサイトの意)にかける時間はまちまちで、一時間で書く人もいれば、五〜六時間かけてじっくりコトコト煮込んだ牛スジみたいな日記を書く人もいることでしょう。中には十時間くらいかけて更新するという現代によみがえりし猛者みたいな人もいるかもしれん。そんな時代劇に出てくる隠居した師範代みたいな人もいるかもしれん。僕の場合、最近は三時間くらいで日記を書いています。 という、あの諸葛亮孔明がブログを始めたときに語った言葉。これはつまり毎日更新することに捕らわれてどうでもいい日記を書くよりは、更新頻度を落としてでもひとつの日記のクオリティを上げた方がいい、毎日更新はクオリティが下がる、そういうことを意味しているわけですが、これは間違いではないものの正解でもない、そう僕は思います。まぁ確かに時間がないときに片手間に書いた日記ほど後々読み返してみて思わず懺悔したくなるものはありません、僕の日記なんて半分以上そんなのばかりですからね。「とりあえず乳の話しときゃいいんだろ」みたいな思惑が見え隠れしてますからね。読者をなめてるとしか思えない、ペロペロ。 ですが、時間をかければいい日記、俗にいう面白い日記がかけるのかと言えば、疑問が残るところ。結局時間をかけてどうこうできるのは日記の場合は量、情報量であって、決して質ではないのですから。それはもっと書き手の本質的な部分に起因してくる要素なのではないでしょうか。面白い日記を書ける人は毎日更新でも結果を残してくるし、書けない人は一ヶ月経っても書けない、そういうことです。 たぶんこれはセックスと同じことで、うまい人は短時間で女性を絶頂に誘うことができるし、僕みたいに童貞に毛の生えたような絶賛禁欲中の男は例え一時間なめ続けたとしてもそこまでは辿りつけない、そういうことだと思います。知ってるか?一時間もなめてると舌の奥が筋肉痛になるんだぜ?僕レベルのクンニャーになるとセックスのあとは流動食とか必要になってきますからね。ウィダーインゼリーが手放せませんからね、色んな意味で。 ですから日記を書くときはあまりそういったことを気にせず気負わず、好きなときに好きなことを書くのがいいと思いますよ、ブログ管理人の皆様。少なくとも僕はそうしています。そうじゃないともうこのブログが僕に残された最後のオナ○ーですからね。これ以上僕から奪わないで!僕にはもう何も残っちゃいないよ!そんなことよりオナニ○したい!おっぱい見たい!小手先で転がしたい!絶賛勃起中! |
[ 71] ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘
[引用サイト] http://sunact.jugem.cc/
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ブログを開始してあと1ヶ月で4年となりエントリー数も800件近くとなった。ブログを開設した当初の最大の目的は、我々の取引先様だけでなく、社員の家族も含め、日々の会社の現状をサイト上で理解していただきたいという思いから、当社のステイクホルダー各位に向けて、社長からの情報発信という意味合いで毎日更新していた。 開設から2年間程は、会社の現状や環境、自然に対する私なりの考えを書き綴ってきた。そして、サイトを続けていく過程で、ステイクホルダー各位だけでなく、それなりの読み手の方々が増えてきた。関係者にご理解いただける内容を書くという意識から、多くの方々に共感を抱いてもらえる内容へと少しばかり意識の変化があったともいえる。 ただ、最近2年程は、3、4日に一度の頻度での更新となり、エントリのペースがかなり落ちた。読み手の方々を意識するわけでもなく、ただ自分なりに思うことを、書きたい時、あるいは書くことができる時に無理せずに書こうと考えたことが最大の理由だ。 さて、以下に、4年間を通じて経験した私なりに思う「社長ブログ」がやってはいけない重要な3つの事項を列挙する。 本日2008年4月7日は長男が中学校入学式、四男が小学校入学式。残念ながら京都は雨ですが、彼らの心は晴れ渡っていることでしょう。 さて、二人の入学祝いということで、週末土曜日に私の家族全員と私の両親(子供たちにとっては、おじいちゃん、おばあちゃん)、そして私の弟という合計10名でいつもの回転寿司屋へ。 テーブルは二つ。一方は、おじいちゃん、おばあちゃん、私の弟、次男、三男が着席。どうみてもこちらのテーブルの回転寿司の消費量は多いと事前に想定。そしてもう一方のテーブルには私、妻、長男、四男、長女(といっても一番下)。 まずはジュースで乾杯。その後、何度もこの店には行っているため、お気に入りのネタをまず確保する子供たち。あちら側のテーブルはよく見ていませんでしたが、少々、驚いたのは四男(今日、小学一年)がよく食べるようになったということ。長男は相変わらずのペースで順調に食べ進み、合間にアイスクリームなどのデザートを食べ、気分を変えて、再度、寿司を食するパターン。 いずれのテーブルも粛々と寿司が食され、口直しにデザートが数種類、消費されていきました。ただ残念だったのが、いつもの口直しの定番の「メロン」が今回は季節が違うということなのか無かったという点。我々家族だけでこの店に行く時は、細い輪切りにされているメロンが大量に消費され、結果的に「メロン一個」を食べてしまっていたのですが、今回、メロンが無く、プリン(長女は寿司よりこちらが好き)、マンゴーアイスなど数種類のデザートが約15皿ほど消費されました。 約1時間半の入学祝いのパーティも無事、楽しく終え、最終的に食べ終えた皿を数える時が。果たして何皿食べたのか・・・ 正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ もうすぐ小学生になる四男君、入学おめでとう。これから小学生になる君にお父さんから大切なメッセージを残すこととしましょう。 保育園と違って、小学校や中学校には「黒板」というものがあります。教室の正面にあって、そこで先生は「チョーク」を使って、字を書いたり図を描いたりして、色々なことを教えてくれます。時には、君も黒板の前でチョークを使って何かを書くこともあるでしょう。 先生が「黒板」にチョークで小さな印を書いたとしましょう。「小さな点」のようなものです。そして、先生が「この印は何でしょう?」と聞いたとします。四男君はどう答えますか? 君は、お父さんの仕事の関係で青森で生まれました。最初の赤ちゃんということで、お父さんもお母さんも試行錯誤の連続でした。「抱っこ」しなければすぐに泣き叫んだ赤ちゃん時代。あれからもう10年以上の月日が経ちました。そして京都へ戻り、保育園を無事、卒園し、小学生となったあの日から6年間。あっという間の出来事のような感じです。もう2、3年もすればお父さんより背が高くなるでしょう。 そして、4月になればいよいよ中学生です。小学生高学年になり、他の4人の弟、妹達の面倒もしっかりとみてくれるまでに成長しました。そして、お父さんが入院している時、お母さんに代わって保育園にお迎えにも行ってくれました。本当にありがとうございました。 さて、小学校卒業、そして中学生になる君に対して、お父さんなりに思うことを少し書いてみることとします。これから書くことも君なら十分に理解できるでしょう。 昨年11月後半からオーバーワーク気味で予兆はあったのですが、何とかやりくりし、3月後半を迎えました。ただ、年度末となり、肉体的にも精神的にも疲労がピークに達し、かつ極限状態まで身体を酷使してしまったようで、恥ずかしい話ですが、先週13日木曜夜から入院となってしまいました。そして、19日水曜日に無事、退院いたしました。 担当の先生は「会社のことは忘れてゆっくり休んでください」とありがたいお言葉を頂戴しましたが、入院後、初めて見た病室での夢が、「メールを受信しようにも、何をやっても受信できない」という内容で、やはり仕事のことが当初は頭から離れなかったようです。 橋下大阪府知事が就任し、1ヶ月程度が経過しようとしている。出馬前の騒動はさておき、就任後の功績は何だろうか。唯一の実績、それが「大阪府民との財政危機感の共有」だ。 大阪の財政再建にとって最も重要なことは、財政の危うさを府民が自分のこととしてどこまで強く意識できるかだ。自分自身が借金まみれで自己破産の瀬戸際に追い込まれれば、誰だって真剣になるだろう。生活そのものを見直し、人生をやり直すためにどうしたらいいか、必死に考えるだろう。だが自分の住んでいる自治体の財政が破綻寸前だと聞かされても、ピンとこない。知識として財政の危うさを認識することと、リアルな危機として強く意識することとはまったく違う。 橋下知事は就任からわずか1カ月で、財政再建にとって最も重要な「危機感」の醸成に成功している。地元のテレビや新聞への出演を通じて橋下知事がアナウンスした「財政危機」コールは、大阪府民の意識を大きく変えてしまった。日ごろからニュース報道に携わっているアナウンサーでも、「こんなに大阪の財政が危ないなんて知りませんでした」と言うほど。事実、大阪は「阪神」でも「吉本」でもなく「財政危機」が大ブームになっている。 まだ1円の財政支出カットもできていないが、府民自身がまず危機を持つという最も重要なプロセスが既に出来上がってしまった事実は、すごい。 府民の危機感なしに、知事は戦えない。府庁の人員合理化、予算のカット、増税、財政再建は「痛み」を甘受することである。どこまで府民に我慢してもらえるか……そこに尽きる。 もちろん縮小均衡だけでは大阪府は死んでしまう。もう一方で、大阪経済を拡大し、府民を鼓舞する前向きな施策も同時に行っていかなければならない。しかし、何をさておいても、重要なこと、それは「危機感」の共有だ。1カ月でそれを成し遂げたということは、「メディアの寵児」であることの強みを、新知事は最大限に生かすことに成功したということだろう。最良の出発だ。 このように、京都人の私にとっては、どこまで浸透しているか定かではないが、大阪府民の相当程度の人々が財政に対する「危機感」を抱いたと私は推測する。そのきっかけづくりを意識的なのかそれともこれしか争点が無かったのか、いずれにせよ就任後、新しい知事は叫び続け、成功した。この点については私も上記引用記事に同感だ。 ただ、問題は次の重要なステップ。いわゆる大阪府の財政再建の具体策の話だ。ちなみにこれから披露する私の提言は極論であるが。 昨晩は久しぶりに早い帰宅となった。通常は22時過ぎに夕食となるのだが、21時半前には夕食を終えた。昨日は急速な円高が進んだため、夕食後、自室にてノートパソコンでニュース番組の音声を聞きながら、読書などをしていた。 基本的に私はTVのニュースを見ない。見ることができる時間に帰宅できないという理由もあるが、夜のニュース番組の一部に何かワイドショー的な雰囲気を感じ、あまり価値を見出せないことが私が夜の番組を見ない最大の理由だ。 さて、22時から始まった某ニュース番組。冒頭で円高・原油高・材料高、そして政治の空白、これらが相関し「国民の負担に直結」しているといった報道がなされていた。報道内容そのものは間違った情報ではないだろう。トップニュースとして果たしてふさわしいものかについては僅かばかり疑問符が残るが。 いずれにせよ、昨晩の急速な円高についての情報を得るため、私は、ニュース番組の音声を聞くだけでなく、画面そのものをノートパソコンで見た。私が必要としていた円高に関する今後についての情報は極めて少なかったが、ニュースキャスターが少々、力みながら画面を直視し「政治家は国民の感覚を理解しているんでしょうかね?」といったコメントや、「我々、国民は動向を注視すべきです」と半ば確信めいた口調で言われていたことのみが大きく印象として残った。 久しぶりに見たニュース番組だったが、過去に見た違和感が昨晩、また蘇ってきた。「国民」という言葉に対する違和感だ。 金額がいくらか私は知らないが、ニュースキャスター各位はそれなりの高額の報酬を得ているはずだ。局専属であったとしても、メディア関連の給与は高いと聞いている。ましてやフリーであれば、我々の想像をはるかに超えた金額を報酬として獲得されているだろう。 今年は、例年と違い、京都も雪が降る日が毎週、続いています。会社から駐車場まで約100m。片手には大型の鞄、もう片手にはノートパソコンを入れた手提げ鞄で100m程度を移動するだけで、帰り道の夜は、かなり手が冷たくなります。手袋をすれば良いのですが、100mの移動に手袋をわざわざ着けるのも面倒です。 さて、突如として話題は変わりますが、私の知り合いに整体師の先生がいます。たまにマッサージをしてもらうのですが、過去にこんな会話を。 この私の回答を聞いた整体師の先生は、おもむろに足つぼマッサージを開始。開始直後に、激痛が。ちなみに足つぼマッサージは初めての経験でした。 消化器系が悪いと言われても、あまり思い当たる点がない私。しかし足のある「ツボ」を押さえられて激痛が走ったことは事実で反論の余地は皆無。その後、整体師の先生から、まず血液の循環を良くしましょうと、ある簡単な方法を伝授いただきました。 2000年から2006年までの過去3回の国際学力調査(PISA)で日本は順位が下がり続けている。いわゆる「学力低下」というものだ。この結果をふまえ、行政では学習指導要領を再検討している。しかし従来同様、学識経験者と呼ばれる専門家の意見と役人のペーパーが主導権を握る机上の論理が展開されている。 企業経営に例えれば、「学力低下」は「売上低下」だ。通常、現場の営業マンが、なぜ売上が低下しているかを消費者にヒアリングし、その結果に基づき、顧客ニーズに合致した商品を様々に模索し、上司や役員が最終決定し新たな商品を生み出し売上回復を目指す。現場、消費者の声を実際に聞かない限り、本当に売れる商品が生まれるはずはない。 この視点で考えれば、教育現場における最終消費者は「子供」であり、間接的な消費者が「親」となる。そして違和感があるかもしれないが教育という商品を売る営業マンが「教師」となる。 しかし、教育については、いつもの如く机上の空論のままだ。日々、変化していく「子供や親の意識・ニーズ=消費者の意識・ニーズ」、そして、実際に消費者と日々、対峙し、商品を売っている「営業マンの苦労=先生方の本音」などは、子供や親、そして教師に対して実際にヒアリングしない限り、「良い商品=良き教育」など生まれるはずがない。いくら学識経験者で元教師の知恵を借りたとしても、かつ子供と触れ合う機会が皆無に等しい役人に想像の世界だけで売れる商品を生み出すことは不可能に近い。 もちろん、子供にどうやってヒアリングするのか、果たして明確に答えられるのかといった疑問を抱かれる方もおられるだろう。しかし、一般の企業、特に子供向けの商品を販売している企業は、子供と直接、触れ合い、模索しながら、懸命に売れる商品をつくっている。これは企業努力ではない。企業として当たり前の行為だ。「教育」という大切なものすらこれらの行為を行政が怠っている現状。企業経営の観点からは理解しがたい行為と言わざるを得ない。 過去から「知識偏重の詰め込み教育」は批判の一つとなっていた。それに呼応するため「ゆとり教育」、いわゆる「総合的な学習の時間」が2000年から段階的に始められた。 百科事典で例えてみよう。2000年以前の百科事典は100頁。第一章から第六章まであり、小学生達は6年間を要して百科事典に書かれた知識を得る。これが学習指導要領であり教科書と考えればいい。そして百科事典に書かれた内容をいかに子供たちに「理解させやすく教えるか」に教師の力量が問われていた。 そこに突如として「ゆとり教育」が始まった。百科事典100頁の中で80頁が従来通り、しかし残りの20頁は何も書かれていない「白紙」だ。その白紙に教師と子供たちは何かを書き込まなければならない時間が唐突に出現した。そして何を書き込むかについては学校に委ねられた。学校ごとに地域の文化や特性などに違いがあるという理由からだ。 教師生活数十年のベテラン教師だったとしても白紙の百科事典に何を子供たちに書かせれば良いのか初めての経験に大きな戸惑いがあっただろう。そして、今まで白紙の百科事典を見たことがない子供たちにはさらなる困惑があっただろう。ここに「ゆとり教育混乱」の大きな要因がある。 「いかに百科事典の内容をわかりやすく教えるか」というスタイルから「百科事典20頁分そのものをつくる」という大転換であり、教育現場が混乱することは開始当初からわかっていたはずだった。 しかし、教育現場の混乱や悲鳴ではなく、PISAという社会的背景も教育システムもそれぞれ違う他国同士の調査結果を根拠に「学力低下」をやっと認識し、「ゆとり教育」の見直しが始まった。企業で例えるならば、現場の営業マンや消費者の声を無視し、コンサル会社から提出されたレポートを見て、あわてて社外取締役を招聘し、対策を練るようなものだ。 我が長男は、ここ数年間の小学校の運動会の活躍を見る限り、走ることが特に苦手ではないが得意ともいえない。しかし彼は小学校対抗の長距離走大会など、様々な「走る競技」に小学校代表の一人として選ばれ、いつも全力で走っている。 私は、長男よりも短距離も長距離もタイムの早い小学生が存在するはずだと思い、長距離走大会を観覧していた同級生のお母さんに素朴な疑問を投げかけた。そして残念な答えが返ってきた。 先週金曜日にデスク周辺に溜まった書類を私なりの方法で整理した。基本的に正月休みのいずれかの日、お盆休みのいずれかの日に出社し、私は溜まった書類の整理を行う。正月・お盆休みのため、電話もアポも無く、静かな環境でひたすら書類整理に没頭できる。いずれにせよ、大掛かりな書類整理は年に二回のみだ。 数週間前、他のスタッフの部屋の大改造が行われた。その際、私が関係する書類が私の部屋に大量に送られてきた。かなりの量だったため、いつやるかを考えていたが、先週金曜日17時頃から開始し、22時に終了した。 先に述べたように大掛かりな書類整理、厳密には正月とお盆の間の約半年間溜まった書類の中で「必要」・「不必要」のいずれかで判断し、「不必要」とみなした書類を捨てることが私にとっての大掛かりな書類整理となる。 ただ、数週間に一回程度、机周りの書類を整理する。今回のエントリではその方法と共に私なりのたった3つのポイントでデスク周りがきれいに維持できる書類整理方法をご紹介しよう。 自然栽培リンゴ農家:木村秋則氏の半生と各種作物の自然栽培農法が紹介されています。私も彼と数年間、苦労しただけに是非ともご一読を! 木村氏が出演した番組DVD。深夜に関わらず放送後、5万人もの方が当社通販サイトへアクセス。彼の壮絶な生き様が伝わってきます。 すべて完全無農薬による自然栽培で育てた野菜の生長過程を写真で紹介。ご家庭で簡単に挑戦できる栽培方法が満載です。 通常とは一線を画した世界中の荘厳な風景が満載。心が癒されると共に世界観が変わる異色かつ希少な絶対にご一読いただきたい逸品です。 各ページに緻密なシュミレーションでの地球の平均気温予測分布図が記載。温暖化を知る上で避けては通れない書籍です。 弘前公園のサクラを救った誰も知らない裏方の皆様の物語。身近なサクラの手入れ方法を実践的かつ革新的な内容で詳細に記載。もちろん当社の製品も紹介されています。サクラの手入れにはまずこの書籍を必読下さい。 華麗な挿絵によるマナー論のバイブル。大人になる前にご一読、そしてギフトにも最適です。アマゾンカスタマーレビューも高評価です。 MBA取得の私ですら得られなかった企業それぞれの成長ステージにおける諸問題の解決策が満載。経営者・社員・その他組織に属する方々、必見。 癒し系音楽の頂点がDan Gibson。シリーズの中で心の底から癒される私が最も好きな作品です。精神的にも肉体的にも多様なストレスがかかる社長である私にとって欠かせないシリーズです。 正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ (03/28) 正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ⇒ 小島愛一郎 (04/07) 正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ⇒ 無料DVDプレゼント中@ヤマヒロ (04/03) 正解は一つとは限らない、自ら多様な正解を求め続けることで視野が広がるという大切なこと:まもなく小学生になる四男坊君へのメッセージ⇒ ヨーロッパから環境事情 (オックスフォードの環境博士の日記) (04/11) |
[ 72] 近藤の帰国、そして、はてな本社の京都移転 - My Life Between Silicon Valley and Japan
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080215/p1
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以前も書いたように、近藤はこの地で本当に一生懸命生きた。しかもとてもユニークなやり方で。それを目の当たりにしていた僕も大いに刺激を受けた。むろんまだ彼はその成果を成功に結びつけることができていない。でも何かをつかんだのだろうと僕は信じる。そしてそのあらわれの第一歩が「自ら陣頭指揮して京都でものづくりに専心する」という彼の決心だ。 志は、大きければ大きいほど、そう簡単には実現できない。いちばん大切なことは、志を高く持ち続けて、粘り強く、いつまでもやり続けることだ。ドグマや理念に殉じて無謀な勝負に大きく賭けるのではなく、少しでも成功の可能性の高い方向を求めて、たゆまぬ現実的な試行錯誤を続けることだ。はてなは、そういう勝負ができるよう、近藤がそういう「長い勝負」を続けられるように、短期的な回収を求めるベンチャーキャピタルから資金を入れず、黒字の会社を運営しながら、コツコツと少しずつ内部留保を厚くしながら、現在に至っている。 確かにはてなの代表的サービスははてなブックマークであり、そもそもソーシャルブックマーク自体がキャズムを超えていないのは事実です。 それは、企業としてのはてなやサービスを深く愛しているからであり、サービスになくなってほしくないからです。 これからのはてなの組織としての行動で、こういうユーザーの皆さんのご心配を払拭していかなければいけない。そして、そのための近藤の帰国でもある。 ダイアリーにしろ、ブックマークにしろ、すでに「それがあれば便利」を越えて「それがないと困る」ユーザーを多く抱えている会社でもある。 と書かれた。それは、近藤もそう考えており、だからこのたびの決心をしたものとお考えいただきたい。 2008/02/15 10:53 大企業だと「夢」ということでお墨付きがつくと、議論が出来なくなっちゃって、大失敗でどうにもならなくなるか、上が変わらない限り、引けなかったりします。大企業の「夢」って、殆ど大企業病だったりします。健全で真っ当な判断が出来るこのくらいの規模の会社というのは、「買い」だなあ、と思いました。 ダイアリーとブックマークだけでもちゃんと英語化するとか、そこの部分でUSのメジャーな所と提携するとか、色々出来ることはあると思いますけどね。サブカル的なポジションで満足するのか、デファクト的なところを本当に目指すのか。一ユーザーとして気になるところです。 2008/03/03 08:16 大企業だと「留学}と称して、1年間の猶予があって、そこでアメリカで何が起こっているかを肌身で感じる機会が与えられるんですけど、帰ってきてどうなるかというと、そのギャップを認めて、一生、一社畜として日本企業でこれから一生働く覚悟をおまえは持っているのか?というキツい問だったりします。 迷うことと迷わないことは同じ位大切なことです。だから、決断って、大切なんですよね?その意味で、「はてな的」なものを私は支持しますが、がんばって下さい!!! こんな手はいけないという心理的なくびきがなくなり、新手に挑む気風が将棋界に広がっている。もう出ないと思っても新戦法は現れる。将棋は奥が深い。(日経新聞4/8/08) タイトル戦を見て、これはいい手、これは悪い手、あーだこうだと言うのは楽しいのですが、集中度、真剣度が違う対局者の読みに勝てないことはわかっているので、虚しさも感じます。「負ける」という恐怖がある対局時と、気楽な観戦時では考える手や、感じ方が全然違ってくるので、仮に実戦より優る手を見つけたところで、あまり意味を持ちません。(渡辺明ブログ3/28/08) 国際的なコミュニケーションで大事なのは、意味がある言葉を話せるかということである。この基礎は母国語のなかでどれだけ「意味の含有率」が高い言葉を構成できるか、という能力にかかっている。(日経3/25/08) 序盤から読み合って、その都度折り合って、シーソーの水平を保っていたが、ここで均衡が崩れてしまった。水面下の押し引きで、時間も気力も体力も少しずつ削られ、正直バテた。藤井さんを含め、上位棋士の真の強さはこういう部分にあると思う。(日経3/19/08) 昨日の将棋、試しにボナンザ先生にお伺いをしたら、僕が間違えた局面2つで、先生はピタリと正解手を示されました。昨年3月の凄腕コンピューターではなく、家庭用パソコンでの先生の読みに負けているようでは、楽観うんぬんという問題ではないかもしれません。(渡辺明ブログ3/22/08) 険しさ自体に変わりはないが、その中にドラマティックな場面が出てきたりする。そういう意味では楽しいという感じがする。将棋は5、6手進んだだけで、思ってもみなかった展開に変わったりする。その面白さはずっと変わらずある。(将棋世界2008年3月号) 以前、数学者という職業の人は周囲の人から「大変ですね」と言われてもピンとこない、何故なら当人にとってそれは遊んでいるにすぎないから、という話を聞いたことがあるんですよ。それって少し羽生さんに通じるものがあるなと思いました。羽生さんも考えること自体が楽しくて仕方ないのではないか、と。(将棋世界2008年3月号) 数学的に可能な局面をすべて並べて、片っ端から形勢判断をしてくれと言われたら、かなりの確率で答えられると思いますよ。(中略) でもそれをわかっているとは言わないでしょうから。全然わかっていない局面でどのくらいわかっているのかと問われたら、全然わかっていないのかもしれない。局面自体を把握できれば、正解も見つけられると思うんですけど・・・。羅針盤がきくかどうかというのは、ものすごく大きいんですよね (将棋世界2008年3月号) 先入観をもたない、ということです。(中略) 先入観をもたないで見るのは、なかなか難しいんですよ。先入観をもってみるほうが簡単だし、楽だし、しかも効率がいいんです。でも、先入観をもたないということは、一番大切なことだと思っています。(中略) それは逆に、年齢を重ねれば重ねるほど難しくなります。邪魔するものがいっぱい出てきますから (将棋世界2008年3月号) (羽生マジックについて) 私自身がどうこうということではなく、将棋は”最後までわからない”ということが大きいのではないかと思います。終わりに向かって可能性が小さくなるゲームでは逆転は少ないでしょうけど、将棋は、常に可能性は低くならない。その意味で、将棋には”最後までわからない”という要素がふんだんに含まれています。だから、私がやっているからということではなく、将棋はそういうゲームなんだ、ということだと思います。たとえば囲碁は、終わりに向かって可能性が低くなります。(将棋世界2008年3月号) 実は、将棋はねじり合いが基本なんですよ。局面が進んでいくと、だいたいねじり合いみたいなものになるんです。だから直線的な感覚で見るのではなくて、歪んだ空間を見るような感覚で見ると楽しいかな、と思います。平面で見る感覚で見ても、よくわからないかもしれません。これは歪んでいるんだ、歪んだものを見ているんだ、というくらいの感覚で見ると、ちょうどいいかもしれません。(将棋世界2008年3月号) 本当のスペシャリストから見ると、厳密には指しこなせていないかもしれないので、いろんな手をやっているだけだと思います。ただし”一回はやってみる”という姿勢は大事にしています。それで手ごたえがあれば続けるし、そうでなければやめる。(将棋世界2008年3月号) 「振り飛車は角道を止めるところから始まる」という「常識中の常識」「最初に覚える常識」すら、いまではかなり疑わしいといわざるをえない状況を迎えているのです。これは数学において、「公理」を疑うのに近いようなことかもしれません。違う公理からは、まったく違う数学が生まれます。(中略) 長年見慣れてきたのとはまったく違う将棋、別の将棋が始まっているのかもしれないのですから。(将棋世界2008年4月号) 「あとまわしにできる手はあとまわしにする」――これは矢倉で生まれ、他の線型にもひろがっていった重要な考え方でした。(中略) 実は振り飛車という戦法にとって、「角道を止める手こそあとまわしにすべき手だった」という可能性さえ否定できないのではないか! つまり相手が居尾車穴熊にしないとわかるまでは、角道を止める手を遅らせる、というわけです。(将棋世界2008年4月号) |
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