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作法とは?/ レイク

[ 45] 飲食・喫煙 : タバコ作法
[引用サイト]  http://hac.cside.com/manner/7shou/1setu.html

それから、タバコについて、賛否両論があったようであるが、1665年、ロンドンで、かわったことが行われた。当時、ロンドンでは、ペストのため、10万人が死んだ。人口、80万のロンドンであったから、12〜13%が死んでしまったことになる。このとき、ペスト菌に対し、タバコがよいという医学説が出、「では、やってみよう」ということになり、誰もかも、タバコを吸う練習をするようになった。とうとう、イートン・スクールの小学生までが、学校で喫煙を教えられた。
東京のある大ホテルのある大幹部、いわく、「タバコを吸っている者に、料理の味はわからない」、いわく、「わたしは、タバコをやめて25年になる。そのタバコ銭を積んであったカネで、夫婦で、一夏、のんびり、ヨーロッパ旅行できたよ」
で、わたくしは、計算してみた。25年間タバコをやめて、そのカネをつめば、夫婦で、一夏どころか、二夏は、ヨーロッパぜい沢旅行をして大丈夫である。
そのわたくしも、女房をもらう前、2年間、タバコをやめていた。当時は、たしかに、1日の仕事量が多かったように思う。タバコを吸わないほうが、精神集中するのかも知れない。
タバコを吸う方は、いよいよ、ガマンできなくなるまで、吸わないでいるというだけで、随分と、1日の本数が減る。
そこが禁煙の場所、または、禁煙すべきときにあたっていると見たならば、たとえ誰かが喫煙していても、けっして喫煙されるな。
禁煙すべきか否かは、しばしば、あいまいである。が、ほんとうは、禁煙すべきであったものとしよう。であるのに、最初に吸いはじめる者は、ものごとを知らなすぎる不作法者である。それを見て、つぎに吸う者は、自分がゆるされるべきでない本能満足を、人のせいにして行なう卑怯者である。さて、残りの人々は、まだためらっている、そのとき、あなたが吸いはじめれば、のこりの人々は、「よかろう」と吸い始める。で、あなたは吸うべきか否かを、まったく独立に、判断されなければならない。
これは、招待主や調理者の気になって、こちらが料理の味を、よくわかるようにしていようということと、タバコを吸わない他の客人たちが、こちらのタバコのにおいによって料理の味がわからなくなることを防ごうということのためである。
つまり、洋食の味は、味覚1/3、歯ごたえ1/3、におい1/3から成るということと、欧米のタバコは、日本のタバコよりも、においが強いということと、欧米人は嗅覚が鋭敏、かつ、神経質であるといったことから来ていると思われる。
もっとも、日本食のときも、食事中に喫煙するようになったのは、戦後混乱期からであり、とうとう、日本人は、洋食のときも同じことをするようになってしまっている。
さて、1970年ごろから、欧米人の中にも、食事中、タバコを吸いつづける者を次第に生じてきている。そこで、灰皿が出ているかぎり、食事中も、タバコを吸ってよろしいという見解が、日本人の中に生じてきている。
ところが、欧米で見ていると、「このレストランの食事は、うまくない」という気持ちの表現として、これが用いられており、ついては、「おたがいに無礼講でゆこうではないか」という信号として、ホストや正客が、わざと行なっている。それら以外のときには、まだ、行なっていない。
また、レストランとしては、「お口に合いますか、どうか」「なにとぞ、おくつろぎください」という信号として、灰皿を置いている。
日本人は、このへんのニュアンスを知らないから、「灰皿が出ていれば、たちまち、一服」つける。ひどい場合、ホテルマンが、そうすべきものと説明している。国際社会でのニュアンスを知っておかれたい。
食後のタバコであるが、本来は、コーヒー、アフター・ドリンク(コニャックなど)、シガーを、一セットのものとして、別室でとるものである。
客として、食卓では、デザート・コースのコーヒー・カップが置かれたならば、まだ、コーヒーがつがれなくとも喫煙してよい。
もし、コーヒーやタバコを別室でとることになる場合、食事のテーブルにコーヒー・カップの置かれることがないから。
さて、タバコを吸ってもよいはずのときになっても、灰皿が出ないことがある。このとき、コーヒー皿を灰皿がわりにされないように。必ず、灰皿を持ってきてもらう。
ホテルでベッドに入ったときは、だいたい、深く疲れている。で、ひどい場合、タバコを口にくわえたまま寝込んでしまい、火傷したり、寝具を焦がしたりする。
ふだん、自宅で寝タバコの習慣を持つ者は、へまを、案外にやらない。これが、ふだん、寝タバコしないのに、ホテルに泊まったし、タバコも、ふだんのものよりよいから、ベッドに寝ころがって、一服やるかというとき、でき事を起こす。タバコの火が 600℃の温度を持つものであることを忘れられないように。
ベッドに横になって、ナイト・テーブルを眺めると、そこには、だいたい、灰皿とマッチが置いてある。いかにも「寝タバコしなさい」とばかりである。が、ホテルに泊まりつけている者は、ここで、ちょっと見まわすことを心得ている。それは、「もし、この灰皿のふちに、吸いかけタバコを置き、そのまま、寝込んでしまい、吸いかけタバコが、灰皿のふちからナイト・テーブルの上に落ちたならば、どういうことになるか」を見るのである。もし、ナイト・テーブルの上に、ガラスが貼ってあるならば、どうということもない。
もし、ナイト・テーブルの表面が、メラニン化粧板(例、デコラ)のようなものであれば、ひどい焼け焦げを作ることもなかろう。しかし、もし、ナイト・テーブルの表面が、普通の木質であるならば、ざっくりと焼け焦げを作るし、ことに、乾燥度の強い地域であれば、火災を発生しよう。また、焼け焦げを作ると、普通、そのナイト・テーブル1台分の弁償を迫られる。こういったことであるにかかわらず、欧米のホテルでは、表面木製仕上げのナイト・テーブルの上に、灰皿、マッチを載せて済ましているところが多い。
もし「このナイト・テーブルでは、いかんわい」と見てとったならば、その灰皿を持って、椅子のところに行き、腰掛けて、ゆっくり、2本も飲まれるとよい。また、仲間が、その椅子にがんばっているようなときは、ベッドの上にあぐらをかき、起きている姿でタバコを飲むのである、これらにつき、みずから、厳重な戒律を持っていただきたい。
中国のかたが、マッチをすってくださったときは、必ず、その火のついたマッチをうけとって、自分で、タバコその他に、火をつけられよ。相手のマッチに、こちらのタバコをつき出すと、はなはだ、失礼となる。
これは、1つには、中国での火種をもらうときの作法から来ている。ローソクの火でも、たいまつの火でも、火種を、こちらに受けとって、こちらのものに火をつけたのち、お礼を言って、火種をかえすのが作法であるとなっている。
また、いま1つには、かざされた灯火のもとで、文字を読むとき、その灯火を自分の手にとらなくてよいのは、その灯火を持つ者が、こちらより目下の者であるときに限るという古い習慣から来ている。で、タバコの火をつけてもらったとき、そこに、こちらのタバコの先を持っていけば、相手を目下と認定したことになる。
わたくしは、この点について、中国のホテルマンに質問して見たところ、火種の先に、こちらのタバコの先を持っていくことは、先方が靴ブラシを持って来たとき、こちらの靴をつき出すに等しいという解答を受けた。
中国の方でない相手から火種を差し出されたとき、および、自分で火をつけたとき、炎の先にタバコの先を持って行かれよ。
ただし、ワイルドスタイルとして、炎の長さを5〜10cmにすることがある。ナマ火は、目立つものであるから、正規の場では、こういう長い炎を作らないのがよいが、それが許され、かつ、それを好まれるとき、こういう長い炎の先端に、タバコを持っていくこともない。炎の途中でよい。
現実に、相手に向かって、マッチを擦ったとき、マッチが折れて、火が、相手の身体に飛んでいくことがある。
で、なるべく自分のほうに向かって、マッチを擦るのがよいが、うまく行かないとき、真下に向けて、擦るのがよい。
相手のタバコに火をつけるため、こちらのライターに点火するには、風がないかぎり、こちらで点火したのち、差し出されよ。
これは、キリスト教にまつわるジンクスのようである。イエス・キリストがつかまえられたとき、ペトロは火のそばにいて、3度、キリストのことを「知らない人である」と言った。
この故事と関係があるとも言う。また、キリスト教以前の中近東の宗教に、森羅万象は、2進法 (Binary) 的に進むべきというのがあって、そこから来ているともいう。中世ヨーロッパでは、同じ火種から3つのものに点火しなければならないとき、まず、2つに点火したのち、その2つ目から火をとって、3つ目につけるといったことをやっていたという。
「くわえタバコ」の定義であるが、タバコに火がついておろうが、おるまいが、タバコを吸うためでないとき、口にくわえていることを指す。
「くわえタバコ」がいけないとは、たとえば、マッチやライターをポケットから捜しだすときですら、いけないのである。
ライターは片手で点火できる。で、ライターに点火してからタバコを口にくわえよ、とすらいう。が、風の吹く中で、ライターに点火する場合、直前に「くわえタバコ」をしておくことは、やむを得まい。
同様にして、マッチに火をつけるときも、直前に、「くわえタバコ」をしてから、両手でマッチを擦ることにせざるを得ない。
これは、1920年代のアメリカ・ギャングが「くわえタバコ」をしていたことから、1930年代以降、欧米作法の中に加えられて来て、それが、現在、ハイ・ソサイティの1つの戒律になっているものである。
そこで、現代欧米テレビ・映画での「くわえタバコ」が、どういうムードをあらわすために用いられているかを観察していただきたい。
日本では、喫煙しながらのデスク・ワークが多い。欧米では、意外とこれが少ない。仕事の能率についての研究がよくできているからともいえる。つまり、欧米では、喫煙するとき、仕事をしない人が多い。
そのときは、タバコの火を消してしまうことを1つの教養と考えられたい。火のついたタバコを灰皿に置いたまま、仕事をすることが、だらしのない行為であると割り切りたい。
喫煙は、喫煙しない者から見て、示威的であるという見方がある。もし、そうであるならば、人のいるところでは、歩行喫煙を遠慮すべきであろう。
歩行喫煙でないが、火のついたタバコを手に持って、2歩以上歩かれるときは、タバコの火を、真上に向けられよ。
タバコは、灰皿のそばで吸わなければならないものでもない。あるいは、灰皿のそばで吸っているとき、友だちに呼ばれ、そのそばに行くとき、タバコを消して行かねばならぬものでもない。
が、灰の床に落ちることだけは考えなければならないし、うっかり、タバコの火で人や器物や壁にさわることも、考えなければならない。
火を真上に向けるときのタバコの持ち方は、どうでもよい。どういう持ち方が美しいかを、各自、鏡の前で研究されよ。
わたくしが、授業のため、すこし、はやめに、教室に行くと、教室の入り口廊下の灰皿のそばで、何人かの方がタバコを吸っておられることがある。わたくしを見られるや、サッと、タバコを消し、それを灰皿に捨てて、教室に入られる。これを見たとき、わたくしは、早めに来たことを、悪かったと思う。で、もし、こういうときは、喫煙をやめるのに、10秒ぐらいかけ、火を消すのに、また10秒ぐらいかけてから、教室に入って来られてよいと思う。ただ、30秒以上、グズグズしておられるのは、よくない。
しかし、灰皿に水が入っていないとき、または、安定性のある灰皿であれば、灰を落とし、タバコをZ型につぶして落とす。
途中であろうと、吸い終わりであろうと、タバコの火を消されるとき、タバコを押しつぶさないで消してみられよ。
もし、まわりの人が、そのタバコを持っていてくれるならば、それを手渡すときと、受け取るとき、「恐れ入ります」と申されよ。
立ちあがるときには、タバコを、まず、灰皿の上に置かれよ。立ちあがったのちに、タバコを、また、手に持たれよ。
立って喫煙中の相手が、両手で、他のなにかをするため、やむなく、くわえタバコをしそうになるとか、そのタバコの置き場を捜しはじめたような場合、こちらは、手を出して、「お預かり申し上げましょう」と申し、相手のタバコを受け取ってしまわれよ。
そのタバコを受けとるとき、こちらとして、持ちかえなくてよいよう、また、そのタバコを相手に返すとき、相手が受け取りやすいよう、そのタバコの受け取り方を工夫されよ。
で、相手が、タバコを持ってくれることは、むしろ、稀なのであるから、いくばく、動作がオーバーになっても、近辺に、タバコを置いてくること。
また、置こうにも、置きようのない灰皿(学校では、バケツ)のときは、目をつぶって火を消してしまうこと。

 

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