見えとは?/ レイク
[ 343] 見えない道場本舗-シュルト応援団
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/gryphon/
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今年も横浜ではワンマッチが行われることとなる。去年新設されたスーパーヘビー級(王者セーム・シュルト)、ヘビー級(王者バダ・ハリ)のタイトルマッチも行われる予定だ。 今年フジテレビ721では、この横浜大会と6月に行われる福岡大会、GP開幕戦となる9月の韓国大会、そして12月に再び横浜で開催される決勝戦を生中継でお届けする予定だ。 去年はここ横浜で名勝負が続出したことが、年間の成功につながった。今年はそれをも凌駕する名勝負は生まれるのか? K-1はメインイベント以外は肩の力を抜いて見ているので、ついでにちょこちょこ小さいニュースを書いていこうか。 靖国神社が「敷地内で撮影を許可する権限を持つ、施設の管理者」として正式に映画に抗議を申し入れたという話は神社の公式HPで確認できる。 …李(李纓)監督は、朝日新聞のこれまでの取材に「撮影許可は取ったものも取らなかったものもある。靖国神社の広報課長に名刺を渡し、その隣で撮影した場面もある。隠し撮りは一切していない」と説明している 靖国神社が朝日新聞の報道をめぐり、プライバシーなどを理由に「取材申請に対しては不許可とさせていただく」などと通告し、同紙の小泉純一郎首相の参拝取材を規制していたことが15日、分かった。 朝日新聞によると、同紙は12日付朝刊に「靖国神社 懐寒し」との見出しで、記事とともに靖国神社の所有地を大まかに示す地図を掲載。 これに対し靖国神社側から14日付で「プライバシーや身辺警護の立場から行き過ぎた報道」として謝罪などを求める抗議書が来たという。 15日の参拝取材では事前に取材申請が必要だったが、朝日新聞の記者とカメラマンの取材は許可されず、敷地内での写真撮影などができなかった。 朝日新聞広報部は「記事についての抗議には真摯(しんし)に対応していくが、取材規制とは別次元の問題。報道の自由に抵触する遺憾な行為だ。抗議するとともに、速やかな取材規制の撤回を求める」と話している この本は予想以上に面白く、懐かしく、感動的な本で、今後は詳しく書いていくが、ここにちょっと関連の話を発見したのでそういう観点から紹介しよう。いやあ、靖国問題と週プロ青春記を結んで論じられるのは「見えない道場本舗」だけです、間違いなく(笑)。 女子レスラー・玉田りえ&府川由美を連れてディズニーランドに行ったことがあった。この取材にはスペル・デルフィンも同行し、遊び人キャラのデルフィンが遊び方を伝授するというのが企画の趣旨だった。 しかし、ディズニーランドは取材規制が厳しい。というより、取材をしても雑誌などに掲載する許可がまず降りない。念のため、取材意図をディズニーランドの運営会社・オリエンタルランドに伝えると「よっぽどの有名人じゃなければ掲載はお断りすることになっています」との返答が。 要はカメラもカメラマンも自前、撮られる被写体も了承していても、撮影場所がディズニーランドであったら、その雑誌への「掲載許可」なるものは、ディズニーランドが下ろす権限があり、生殺与奪は同ランドの胸先三寸だということだ。 ディズニーランドという場所も、なんつうか日本の今を映す格好の場所であり、ここにカメラを据え置いて、10年撮影したら面白い作品ができそうだが、それはさておき、そういうことでいいのかね?なしにろ権利についてはつかんだものは絶対に離さないディズニーの関連会社だ。法律的に詰めていくと理不尽な、見えないプレッシャーによってこういう既得権を業界に広めている可能性もある。 ただ、こういう合意が社会的にあるのなら、やはり靖国神社の撮影は神社の許可が必要で「撮影許可は取ったものも取らなかったものもある」じゃまずいのか、という話も出てくるかもしれない。 このパンフレットにのっている制服姿の青年、この青年は現役自衛官であり、彼が靖国神社に参拝しているところを、この映画「靖国」をつくった人が無許可で撮影をし、その映像が無許可でこの映画に使われ、このパンフレットにおける掲載がされていることもこの自衛官の方は一切しらなかったんです。この現役自衛官の方がたまたま靖国神社にお参りしたときに撮られた、勝手に無許可で撮られた肖像権はまったく守られていないというのが、常態化、今も続いています。 このへんの話でありますが「今年の正月も初詣ラッシュ 色鮮やかな晴れ着の波」とか「さあ衣替え 新緑に夏服の装い」とか、そういう写真や報道ってありますね。一応、こういう街頭風景や、施設の風景を撮るというのは許可とか肖像権の主張は無い、という話だったはずだ。 だが、何しろ撮影に関する権利は機材が進歩したこともあり、権利も時代につれて変わってきているんだよな。 今現在、これはどんな感じになっているのか、判例や問題を時代に沿って追い続けないといけないかもしれない。 ついでにいうと、じゃあ秋葉原?のコスプレ女性とか、海岸の水着の女性も「街頭風景を撮っているのと同じだ、何が悪い」となるんだろうか。このへんは条例がらみだろうか。 肖像権とか「施設内の撮影は許可が必要だ」というのも、時代の流れと共に一般的には強化されていくようだ。 自由を狭めていくのは、私のあなたの隣の「私人が持つ権利」なのかもしれない。また自分のもつ権利も、だれかの自由を阻害しているかもしれない。 原理的には前に書いた「他者危害の原則」に沿ったもので、他人の権利を守るためには、それは自分の権利もたしかに制限されるのだが。 いや、俺やっぱり、時間を何とか作って本日(※このエントリは12日午前零時ごろ書いたので、「本日」とは11日のこと。)DREAM事務局に電話でお伺いしてみたのよ。3割ほどはズンドコぶりを確認して、エントリに出来るんじゃないかという期待もまァ。確かにあったんだが(笑)、7割はPPVがあるならいろいろと準備とか手続きとか(例えばやるならやるで、チューナーに電話線をつながなくても視聴できる「電話De」システムはあるのか?など)を確認すること、また本当にPPVはやらないと決定したなら、やっぱりじゃあさいたまに行くことを検討しなきゃならんし、日程調整なんかも視野に入ってくる。 そしたら事務局の女性の方、ほんとにきれいに、さっぱりと、ピュアホワイトに事態を把握していない。「少々お待ち下さい」の後、ほんとに待たされて、そして得た答えが結局は「現在検討中」でしたよ。 はっきり言って、格闘家近藤有己のファンである俺でも一、二度しか読んだことが無いぐらい、このブログはどーでもいい話ばっかりで、解説もそうなんだが、文章もそのまんますぎ、というしかない。(よく格通は巻末コラム書かせてたなあ) 松井秀喜はこの前、結婚したとき「相手は一般人なので取材はご遠慮を」と、写真も出さず似顔絵ですませる気の使いようだったが、近藤は思いっきり実名だしていてこっちが躊躇してカットした(笑)。 ・・・のだが、野次馬の側で申し上げる話でもないのですけど、一般論としては、一家の長となると、やはり独身の時よりは「家計」つまりは「収入」が気になってくることは、これは避けられない。パンクラスのエースとして近藤は船木誠勝の一度目の(笑)引退より8年、かのミニ団体を支えてきたが、それは本当に直接的に、近藤がいわゆる通俗的な意味で”野心”がなく”無欲”であったことが大きい、と思うお。 でもいつまでもそれに依存するのもおかしいので、団体がそれに報いられるようになってもらえれば一番いいんだけどな。 ・・・格闘技マニア的には『アブダビコンバット2000』で、チームメイトのジェレミー・ホーンとワーク試合を行ったことなど興味深い内容が多いのだが、その中に、同じチームメイトのシルビアに対してもかなり酷いいじめを行い、それを許してくれと懇願してきたシルビアを冷たく突き放すというくだりがあるのだ。 あれだけ身体も大きいのに、小さいヒューズにいじめを受けて無抵抗で逆に「いじめをやめてくれ、友達になってくれ」と懇願していたギャップに同情が集まり、それまで強いけどつまらない選手という評価だったシルビア株が格闘技マニアの間で急上昇している。 ヒューズは心やさしい紳士ではないらしい、というのは「ジ・アルティメット・ファイター(TUF)」初期のコーチ役から知られていたが、これはまあ笑い話だけでもすまない話かもしれんし、すむ話かもしれん。 それはともかくとして、言いたいのはヒューズ自伝て昨日今日出たわけでないのに、こういうおもしろいエピソードが伝わってこなかったなと。 あちらでのMMA人気上昇に合わせてチャック・リデルの自伝本とかも出ていると聞くし、WWEレスラーやレジェンドレスラーの自伝も出ているが、日本語訳が出るのはそう多くは無い。 実際、今誰か「チャック・リデルの自伝本ってどんなストーリー?何か面白い逸話がある?」と聞かれて知っている人は格闘技マニアの中にもそういまい。 そこで、英語を読みこなせ、かつ書評に興味と情熱がある人が積極的にこういうエピソードを抜粋紹介してくれるという・・・そういう役どころがいればいいな、と思う。日本にはさらに入ってきにくいドキュメンタリーの映画やTVも含め。 あの時の状況をみな覚えていないから言うが、この一文がきっかけで、日本上映が実現したのだ、と思い込みで断言しておく。少なくともまったく影響を与えなかったということは無い。 町山智浩も、以前まだ未邦訳だったカクタス・ジャック自伝の紹介を宝島でやって期待を集めたことがある。 そもそも、黙っていればいくら書店にあっても気づかない、エピソードを抜粋して紹介すること自体に、特に専門カテゴリーに限っても商品価値があるってのは、日本語のプロレス・格闘技本で既に吉田豪が証明しているじゃん! もっと一般的な本や雑誌論文も、実は「この国では今、こんな本がベストセラーなんです、論壇で話題なんです」という情報って非常に役に立つんだよな。「諸君!」ではつい最近まで「気になるアメリカンブックス」というコラムが、最新の論壇のトピック=出版物を紹介していて非常に好きだった。 観戦記ネットのテキストも、初期のものは当然、今のネットのトピックからズレて参照回数が減ったせいで、最近はなかなかグーグルでもダイレクトにヒットしにくい。今、探したついでに彼のコラム一覧(これはごく一部だよ)へのリンクがあったので、タイトルと共に紹介しておく。 ちゃんとキーワードができているので説明は不要のようだ。共和党には一応籍をおいているが、筋金入りのリバタリアン。初期の大統領予備選(共和党)で、若者とインターネット利用層に奇妙な人気を持ち、存在感を発揮した。 【ワシントン=山本秀也】米下院本会議は9日、「チベット弾圧の停止」などを中国政府に要求する決議を、賛成413、反対1のほぼ全会一致で採択した。決議は中国首脳に対し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世との直接対話に乗り出すよう求める条項も盛り込んだ。 サンフランシスコで聖火リレーが行われたこの日、議会からの圧力が高まった。下院本会議は、ペロシ議長が提出したチベットへの弾圧停止を求める決議をほぼ全会一致で採択した。 決議には、共和党のロン・ポール議員1人が反対しただけで、賛成413。(1)チベット弾圧の停止(2)ダライ・ラマとの首脳対話実現(3)拘束されたチベット人僧侶らの即時釈放−を要求し、米国務省に、中国を人権抑圧国のリストから除外した年次人権報告書の判断を撤回するよう求めた。 早くから「国際オリンピック委員会(IOC)が中国を五輪開催国に選んだのは失敗だった」と表明してきたペロシ議長主導の決議が、ほぼ全会一致の形で採択されたことは、大統領にとり無視できない圧力となることは間違いない・・・(略) いやいや、彼は共和党でありながらイラク戦争に反対し、今も即時撤兵を唱えている。ではガンジーにも似た平和主義者なのか。 「アメリカはその気になれば地球を三回ぐらい壊せる武力がある。どこを恐れる必要があるんだ?だから何もしなくていい」 アメリカ一国が平和で民主主義で繁栄していれば、他の国で貧困、腐敗、内戦、侵略、弾圧、核開発…が何があろうが起きようが、別に気にすることはないじゃないか、という、とってもはっきりすっくりしたシンプルな論理に立つ人なのです。 私は実効性があろうがなかろうが、米国下院でチベット関連の決議があったことを喜ぶものだが、下院議員413人…彼らが代表する有権者でいえば一億人近いのだろうか、それに対してリバータリアンが堂々一人で屹立する様には思想的にも美学的にも面白そうではないか。秋山成勲に「三万人のブーイングに一人で喧嘩を売れるのは男冥利だろう」という評価があったが、それに近いな。 しかし、じゃあ本当にロン・ポールが大統領になり、世界のすべてに不干渉な、かつての孤立主義的アメリカを復活させたら世界はよりよいのかというと、どうなんでしょう。今回の下院決議を主導したぺロシ議長も、ポール議員も日本では「ブッシュに反対する雄」として紹介されたが、ここまで違う。 世界に対して不干渉を決め込もうとするアメリカを、さらに力技で引っ張り込む冒険活劇というかピカレスクロマンが、何度目の紹介だろうか。 まったく俺のキーワード作成に関するジャーナリステックなセンスの良さには我ながら(というか自分だけが)惚れ惚れするね。今年のアメリカ大統領選挙は俺が作成した2候補で争われそうだしさ。 と、こうやって上のキーワードに注目を集めると、テーマがテーマだから内容に不満のある人もいるかもしれん。もとよりブログ間の一覧効果を高めるためにスピード重視で作成したものだから、自分流に直したい人は直しなさいな。 で、この映画で、「妨害もしくは抗議活動による上映館の中止」とは別の、新たな問題が発火した。それは出演者、プラス撮影許可を出した撮影場所の管理者が「出演前に説明されたものと趣旨が違っている、騙された」という趣旨で抗議し、また出演場面の削除を請求したというものだ。 撮影者は「説得して了承してもらった。外部から説得され(圧力を受け?)あとから変心したのでは無いか」との主張だ。 簡単な提案だが、これに靖国神社とか中国人監督とか、固有名詞・属性を敢えて消し、私の言葉で言えば「因数分解」して考えたほうがいい。だって、この問題ってドキュメンタリー映画やノンフィクションの文章を書くときだって、それも右よりだろうが左よりだろうが発生するものなのだから。 いま、Cは「登場人物」としたが、靖国神社の問題を含めるとしたら「重要な撮影シーンの場所の、管理権を持つ組織C」と置き換えてもいい。どうだ、固有名詞を抜いたらイデオロギー問題を外れすっきりしただろう まず、事実関係においては、Cが最初の完成品を見て「私が聞いた話とは違う」と不満をもったこと、これは両者とも争いが無いだろう。企画意図が当初と違っているのか、それは協力を得るために偽装したのか、そしてその変更をある時点で納得したのか。これはもう、通常の裁判と同様に事実関係の争いだ。 逆に筑紫哲也や石坂啓は、この部分の事実関係において確認・確信できた上で記者会見とかしたのかなあ。 ただ、やり取りを録音してたとも思えんし「言った言わない」の問題を、両者が手紙だとか色紙だとかを持ち出して「どちらの証言に具体性・迫真性があるか」を検証していくしかないだろう。 被写体が了承してないだろう撮影フィルムを使っているようであり、使ってないようであり。最近亡くなったチャールトン・ヘストン氏は「ボウリング・フォー・コロンバイン」で、好んでではないだろうがムーアのインタビューを了承しているからこういうのはいいんだろう。その他、ヘストンの演説などを引用もしている。 このへんはどうかな。おそらく議員は公人性にかんがみて使用が問題ないのだろう(「靖国」でも稲田朋美が映っているとか)。もしくは路上で街頭インタビュー的に捕まえると、その映像は問題なくなるのかもしれん。ワイドショー映像はそういうものでしょ。 これが、「刀匠の朝は早い」みたいな、仕事場や自宅にお邪魔しました、インタビューも取りますということだと、まったく別物として、撮影したものを編集して公開するときには被写体の了承が必要になる・・・ということだろうか? あ!そういえば「ゆきゆきて神軍」!!あれは奥崎謙三は問題ないとして、彼と対峙した元軍人はみな、ドキュメンタリー映画に出演、公開されることに了承を取ったのだろうか?? ドキュメンタリーというのは、登場人物が編集の中で「どう考えても監督が主観的に悪役扱いしてるな、こりゃ」という感じになっていることはよくある。(一番露骨に感じるのはTBSで深夜にやっている「CBSドキュメント(60ミニッツ)」です。まあこりゃあ、報道番組扱いなのですが)そういうものには多分、不満を表明している人も多いのだろう。 「作った作品が信頼性の高い誠実なもので、撮影の間に被写体と信頼関係が結ばれていれば、『悪役扱い』などに不満があっても了承してくれるだろう。趣旨が違うとか自分の場面はカットしろと言われるのは、後からだろうとなんだろうとそれ自体が失敗。製作者の不徳のいたすところで、信頼関係を出演者と結べなかった自分を恥じるべきだ。」 となる。しかしそれでいいのか、悪いのか。マイケル・ムーアとGM社長の間に信頼関係を結べと言われてもな。 田原総一朗が今回、記者会見でもやっぱり一番大きな顔をして目立ってたようだが(笑)、実は彼は報道番組や討論番組の司会者である前に、突撃ドキュメンタリー作家だった。 彼に対して「今回、監督は登場人物や撮影場所の管理者に映画の趣旨と違う説明をして許可を取ったらしいんですが・・・」とこの問題を持ち出しても、おそらく一笑にふすだろう(笑)。それぐらいかつての田原はすさまじい取材も、やらせもやった。 実際の身分を隠し、偽りの趣旨を述べて秘密をつかみ、暴露するという形式は、小型化されたとはいえテレビカメラが必要な映画より、文字のノンフィクションに多い。 大泉実成氏といえばはてなユーザーの一人か。潜入型ノンフィクション(描写された相手は喜ばないであろうタイプのノンフィクション)執筆者の一人として、今回の事件なんか、どう考えているんだろうね。 ただテレビドキュメンタリーでも「趣旨を偽っての撮影」というのはやっている人も多い…のか?この人が特殊なのか?森達也氏は、下山事件の取材の際(最終的に映像ではなく本になった)、矢板市の市教委に「郷土史のドキュメンタリーを作りたい」と真っ赤なうそを並べ、同市が管理する、下山事件に関係したとの説がある人の生家を撮影機材を持ち込み、素材としてカメラに収めた。 また例によってどこにこの蔵書があるか探し出せないのだが、たしか、「騙すのは相手に申し訳ないが、騙した自分だって傷ついている」みたいな感じで正当化?しているくだりがあり「おいおい、それでいいのか」とちょっと心でツッコんだ覚えあり。 その結果できた作品は、その事実によって評価が変わるか?それは変わらないということでいいのだろう。 取材対象者が,当初,取材に応ずるか否か,どの程度,範囲で応ずるかは,その自由な意思に委ねられており,取材結果がどのように編集され,あるいはどのような番組に使用されるかは, 【〜 63頁】 取材に応ずるか否かやその程度,範囲の意思決定の要因となり得るものである。そこで,取材に協力した後に番組内容に想定外の変更があった場合には,取材対象者は,取材に応じた意思決定についてはいわば錯誤や条件違反があったものとして,当初に立ち返るのに代え,その自己決定権に基づき番組から離脱する自由も有するということができる。他方,番組制作者は,編集の自由を有し,その調整も必要であることから,取材対象者による自己決定権の具体的な行使としては,当初の意思決定の時の説明どおり番組を編集するよう請求することまで認めることはできないと解すべきである。そこで,取材対象者は,番組制作者に対しては,原則として,番組から離脱することや善処方を申し入れることができるに止まり,番組改編の結果,取材対象者の名誉が著しく毀損され,放映されると回復しがたい損害が生ずることとなる等の場合には,差止請求をすることができるものというべきである。このことは,取材対象者が,他の報道機関等に実情を説明し,対抗的な報道を求めることを排除するものでないことはいうまでもない。 ところで,制作中の番組について,どの程度のねらいの変更が生じた場合に説明を要するかは必ずしも判然としないことも多く・・・・(後略) (もちろん「自分の出てる部分だけを削除してくれ」と、自分が自己管理できる範囲を限定しているとまた違ってくる) ちなみにいわゆる一般的な右・左の議論でいうと、期待権や編集上の権利において、上に引用した問題と今回の映画の問題、攻守ところを替えている点も指摘しておく。 撮られた当事者が、「自分は撮影者に事実とは違う趣旨を説明されて被写体になった。ところが実際にできたものはまるで説明とは違っていた。自分は騙されたんです」 以前藤田朋子さんがヌード写真集を出したときなにやら出版社ともめてましたが、どうしてそんなことになってしまったのでしょうか? ところでですな、藤田朋子さんも今回の刈谷刀匠も「私は騙された」と自ら語っているわけじゃないすか。それに対して「本当なの?」とか「だれかに言わされてるんじゃない?」とか疑うのって、セカンドなんとかじゃないんですかね?「セカンド撮影」とでもいうのかな。 特に、藤田朋子の場合は性にまつわる問題だったのだから、他の事例とそういう点でも共通性はあるだろう。 私としては相手が女優だろうと90歳の高齢者だろうと(実際に裁判になったらそうするしかないように)事実に疑義を挟む余地があるなら−−不必要に傷つけないように表現に気を使うのは当然の前提として−−疑問、追及、検証は行って然るべきだと思うが。 「貞猪さんが「政治的な内容でダメだ」と言うと、李監督は「近いうちに代わりのものを送る」と話したが、連絡はないという」 「映画の解釈などをもう一度説明した。奥さまからは最後に『頑張って下さい。どこでも上映してください』という言葉をいただき・・・」 2008/04/12 17:18 ヒューズとシルビアさんの件は、こっちでも話題になってましたよ(某海外スレなどで)。だから、ミルホンも今更記事にしたのかと思いましたが、ヒョー戦のこぼれ話かと納得。昔からヒューズがシルビアさんのケツを蹴っ飛ばす映像とか出回ってましたし、スクーター画像などシルビアさんは日本人の海外ヲタには前から愛されていたキャラでした。 2008/04/12 17:22 ちなみに、発売当時海外フォーラムをウォッチしていた人がまとめて日本でレスしてくれたのが下です。鬼畜過ぎて笑えないというのがほとんどの日本人の感想でしたが。・手の付けられない悪ガキで双子の兄弟(マークヒューズ)とお互い憎み合っていた話 ・父親に叱られた時にマークと二人で父親を打ちのめし誰がボスか思い知らせてやった話 ・マークの方が母親を窓から投げ捨てるぞと脅した話(家庭はやがて分裂する) ・豚を生きたまま去勢して豚が絶叫し切り取った金玉を友人に投げつけて楽しかった話 ・大学では一切勉強をせずにレスリング部のいじめっ子として君臨した話 ・大学で兄弟ともども同じ8年生(13才)の女とハめて穴兄弟になった話 ・親戚が女関係で自殺したが葬式に出ずにレスリング試合を選んだ話 ・アブダビでチームメイトのホーンと八百長して最短サブミッション賞金を取った話 ・試合で攻め込んでたら相手が「もう腕を極めてくれよ」と囁いてきたので もう一ラウンドたっぷり殴りつけてやった話 ・例の13才の女が21才になった時に今度は食料品屋でハめたがすっかりいい体になっていた話 ・ジムにいる偽パイ女を孕ませたがその女の尻はでかすぎて好みではなかった話 ・女が胸にシリコンを入れた手術の直後に病院のベッドで女にのしかかりハッスルして傷口が開いた話 ・ミレティッチジムにてパルヴァーと二人でデブの新人(シルビア)を馬鹿にしたり無視した話 だがな君たち、わたしがかなりのお金を使ってスカパー本体に問い合わせたのはまさに格通の公式発売日である8日だぞ。 雑誌では出稿、印刷されているけど発売日まで秘密、発売日と同時に情報が解禁になるってことはあるのだろうが、発売日に問い合わせの本丸が情報を把握してなかったなんてあるのかね。 じゃあもし万が一そうなら、「専門雑誌に広告が出稿され、掲載されておきながらその雑誌の発売日に正式発表まだ至っていない」という、極めて会社全体の信頼性にまで影響を及ぼしかねないような異常事態を「ニュース」として取り上げてくれ。 どのカードにもリスクは十分あったけど、それでもおそらくほぼ主催者の意図どおりになったのでしょう。 魔裟斗にしても佐藤嘉洋にしても課題を見事にクリアした。ブアーカオ、アンディ・サワーも強さを見せた。 これぐらいのレベルでトーナメントを操作(というと語弊があるが、組み合わせの妙だね)するのがまさに「谷川黒魔術」ってやつですよ。 こういう「オーストラリア情報専門・日本語ニュースサイト」なんてものが成立しているというのも驚きだが、こんな報道があった。 ジェニーさんは「ジョン(父親)と私の関係は2人の同意のもとに成立している。私たちの関係を少しでも理解してもらいたい」とナイン・ネットワークに語った。 2人の間に生まれた娘のチェレステちゃんは現在生後9カ月。放送された番組で元気な姿をみせた。ジェニーさんは父親と再会した後すぐ、父親を一人の男性として見るようになったと語った。ジェニーさんは元夫との間にもうけた2人の子供も育てている。 ジョンさんは実娘と性的関係を持つことを最初は不適切な行為と認識していたと認めた。一方で、「次第に気持ちの方が強くなった。人生には感情に流され、 理性が負けることがある。私たちの関係が違法だということはわかっていた。だが、違法だからどうだというのだ」とジョンさん。 一応、今現在のリベラル・自由主義社会というのは、「他者危害の原則」に立っている。他の人権を侵さない限り、個人の行いを妨げるものはない、というタテマエだ。プリンセス・プリンセスの歌で言えば「好きな服を着てるだけ、悪いことしてないよ」というやつである。 さて、基本的な考えの枠組みにおいて、上のオーストラリアの父娘の事例は、誰かに危害を及ぼしたりしているのだろうか。 一般的に近親の結婚(性的関係)というのは、片方が判断力を備える年齢でなく、また家庭の中での権力関係によって強要されることも多い。それは、そのまま犯罪とするのはたやすいのだが、上の事例はそうではない。 うん、伝統や人倫を持ち出して説得するなら、それにまったく同意する、100点満点のお答えだ。圧倒的多数が、おそらく反対はするまい。 だがね、伝統と人倫に助けを求めた時、「近代社会」を支えてきたロジックはその時点で全面敗北してしまうのだ。 「すいません、社会秩序は伝統に(も)依拠していまして、それをはずして近代の原則だけで作ったら成り立ちません」 しかし、それは「結婚した男女は子供を生むべきで、それは健康な子供であるべきである。健康でない子供が生まれるリスクが高い場合は社会がその危険性を規制できる」ということになってしまう。 いま一番、「敢えて社会が困難やリスクを負ってでも、自由主義に基づいた近代社会を選ぶ」という姿勢をとるラディカルな思想家は樋口陽一氏だと思う。 この人が「個人と国家」という新書ではちょっとだけこの問題に触れているのだが・・・ちょっと別の文脈の中での話で 「分かりやすい例でいえば近親相姦(インセスト)タブーでしょう。なぜいけないのかという説明抜きでとにかくそれはいけないとされ、だんだんいけない理由が「いけない」ということを言う方にも理解できるようになる。言われる側もその合理的な思考を受け入れることができるようになってくると、今までタブーとされていた規範はそれなりに重大な理由があったのだということがわかるでしょう」(223p) かつては極端な形で、挑発的にこの「自由社会」原則を徹底させた社会について語っていたはずの宮台真司はたしか「宮台さんに100の質問をしよう!」みたいな本でちょっとこの問題に触れていたようだったが、詳細は忘れた。 「靖国」上映館が上映中止を決めた問題で4月前半のいつだったか?朝日新聞がその続報を2面の記事で書いていたな。 これはメモしたものなので、記事がネット上では今見つからないようだが、上のフレーズで検索すると引用・転載者が多いので記事は読めるだろう。 んで、一言で言うとこの主張、正しいか間違っているかといえば「正しい」。論理としては最強すぎるのだ。 だから私は、読売新聞が社説で、この問題と同じカテゴリーだとして紹介した「櫻井よしこ講演会中止問題」(これも(「抗議で中止」という部分では)同じ枠組みだという読売の主張は全く正しい)、またネットで話題になっている「『プライド 運命の瞬間』(東条英機の映画)が当時、上映反対の抗議運動を展開された」ことも、抗議運動自体はいくらでもやっていいと認める立場だ。 で、大騒音でいやがらせしたり、「殺すぞ」「家の火事に気をつけろな」「お母さんが石段から落っこちなきゃいいね」などの脅迫をしちゃいけない。 シンプルですが、これに対して異論を唱え、上の言葉で言えば「抗議の自由の制限」を主張するとしたら、なかなか複雑な論理立てが必要です。上の一言を発した人のロジックは、あまりにも単純で、それだからこそあまりにも強固だ。 2008/04/11 13:54 そもそも中国なんか言論表現の自由も政治結社の自由も認めない人権抑圧国家なのに、その国の映画監督が日本の政治家や右翼に「言論表現の自由に対する圧力は許さない」なんて抗議していること自体がギャグだよな。誰か突っ込んでやれよ 昨日、柔術分裂劇のことを書いている時にふと思い出したが、1868年に明治維新があり、それに伴う戊辰戦争も行われた。だから最後の五稜郭開場は一年後だが、多くの戊辰戦争は鳥羽伏見も会津も長岡も宇都宮も日光も上野も140周年なのだ。 それで、戊辰の戦で一番軍事的に激戦だったのは、風雲に乗って河井継之助が幕末に藩を単独で近代化、ガトリング砲などの最新兵器で武装し、ほぼ独立王国の様相を呈していた長岡藩などと新政府軍が戦った北越戦争。 …この戦いは今町戦争とか今町の戦いとか呼ばれ、同盟軍を三つに分け、正面から攻めてくる先鋒隊に政府軍が気をとられている間隙を突いて、残りのニ隊が脇から攻めるという戦略が成功を収めたため、河井継之助の軍事的才能を示すエピソードとして戦記にはよく引用されるものである。『峠』も、この今町の戦いには一章を割いている。 でも、この戦いは地元の人間にとってはとんでもない災難だった。同盟軍は新政府軍を敗走させた後に、新政府軍側についた新発田藩の領地ということもあって、この町に対してお決まりの暴行・略奪の限りを行ったあげく、火を放って町を焼き尽くしてしまったのだ。私の祖先で、武士でなかった(戸籍を見ると、先祖代々雑業にたずさわる、と書かれてあった)n代目高井三平(わが高井家ではかつて長男は代々こう名乗っていた)は大八車などを引きながらただただ逃げ回るばかりであったであろう。 そのようなわけで、この戦いの精神的・物理的両面にわたる傷跡は長く今町に残ることになったのである。第二次世界大戦前までは、この町で戦争といえば日清日露でなく北越であったそうだし、工事で穴を掘れば、当時殺された武士達の骨が出てくるし、どこそこの旧家の土蔵の壁には当時の鉄砲の玉が残っているという話も何度か聞いたことがある。郷土史が好きな父からはこの戦争で史料が焼かれたため郷土史がわからなくなっているという嘆きを幼い頃から幾度も聞かされた。 もちろん河井継之助は大悪人の扱いである。『峠』を原作に、一エピソードであれ、この越後での戦争をおそらく初めて映像化した作品であるNHK大河ドラマ「花神」も放映当時“はながみ”(“かしん”と読むのが正しい)と読んで揶揄していたほどなのだ・・・ そりゃそうで、「戦は百敗しようと最後の一戦を勝てばいい」と劉邦の時代から言われていたことです。 どんなに善戦しようが鋭い戦術をみせようが、相手に大損害を与えようが最後に負けて占領され、武家も庶民もその後は困窮のきわみだったのだもの。リアル負け組だ。 文芸春秋の元名物編集者で、今は歴史探偵を名乗り多くの研究書を書いている半藤一利もこの方面の出身で、司馬に直接文句を言ったこともあるとか。 というか司馬遼太郎も「峠」のプロトタイプとして中篇「英雄児」を書いており、それは最後のオチが「英雄児というのも、時期を間違えればとんだ災難のようである」という感じの皮肉な視点で描かれていた。いかなる心境の変化があったのか、あらためて英雄物語として書いたのが「峠」というわけ。 「王城の護衛者」は幕末ものでまとまっており、また表題作が司馬屈指の名作なのでそっちをおすすめしておく。 河井が改革し、小林が守る。河井が華々しく政府軍との先頭の陣頭に立てば、小林は藩主を最後まで護衛する。河井が奮戦の末、長岡を焼け野原にすれば、小林はその復興の指揮を執る・・・・ そんな小林の評伝が、以前から司馬を敬愛しつつも、「私が興味を引かれるのはなぜか司馬さんがスルーする人物だ」と語っていた松本健一の ・一人は伝統を破壊し、旧体制に革命を起こそうと権謀術数も辞さず、権力の内部に飛び込んで実権を握り、理想の元に改革を行う。 ・もう一人はその伝統を愛し、生まれついての病身もあって表舞台には立てず、閑居しながら弟子を育てつつ、風雲に巻き込まれていく王国の行く末を案じる。 ・そして激動の中、王国は武力で倍する大帝国の侵攻を受ける。一人はこの日のあるを予感し、ひそかに備えていた数々の秘密兵器と新戦術を繰り出し、敵の大軍を何度も撃破する。軍の先陣に立ち、銃で撃たれた負傷を押して戦い続ける。 ・一人は、ライバルから「国王と王子の護衛をしてくれ。何があっても離れるな」と依頼を受け、敗戦で脱出する王の逃避行に同行する。 ・そして、一人は最後まで戦い華々しく戦死を遂げる。もう一人は、紆余曲折を経て敗戦後の国王一族の助命に成功、そして荒廃した祖国をライバルから託され、徒手空拳で再建に乗り出す…… と。いやあ、イラストレーターが若い美形キャラクターに二人を描いてくれさえすればラノベっぽくならないか、これ。まあもともと実在の歴史物語をファンタジーに翻案するというのは・・・やれそうでそう簡単にはできないもんですけどね。まあ、キャラが立っていることは認めてくれるでしょう。継之助はいうに及ばず、非常に地味な存在ともいえる虎三郎も。 あと、何度かこのブログで書いたけど、エンターテインメントでも実話でもいいんだけれども、自分や他人が感動したり好む話やキャラクターというのを、固有名詞をや固有の時間、地理を取り除く「因数分解」を行うと、星占いや心理テスト以上にその人の「個性」や「思想」が分かると思う。 あとは、まかり間違って自分がフィクションを書くときの参考にもなる。ここまでやると主観的にはパクリなんだけど、法的にも客観的にもパクリじゃなくなるから(笑) 当然、司馬遼太郎もこの対比には注目していて、「峠」には小林虎三郎は一回しか出てこないが、それが全司馬作品の中でも指折りの名場面だ。 私は司馬が亡くなった当時、まだスキャナーもブログもないからコピーや切り張りをして、没一週間で追悼雑誌として「司馬遼太郎名場面集」を作ったことがある。まだちょっと残っているから、何かの機会にでも紹介できるかもしれないが、「峠」からの引用はこの虎三郎の場面だ。 前段を紹介すると、この場面では小林と河井は完全な対立関係にあり、小林は閑居しながらも河井の藩政改革を批判している。河井もそんな虎三郎を苦々しく思っていたが、あるとき小林の家が火事になる。 はて、これを仇敵の俺からもらってくれるか・・・と思った河井だったが、意外なことに小林は大感激、なんども礼を述べて涙をこぼした。河井はそれに失望と拍子抜け半分、懐柔に成功したとの安心感半分だったが・・・ 「ただ、足下のものの考え方、施政、人の使い方に大きな誤りがある。それを申し述べて、この御厚情に対する恩礼としたい」 と言い、その刻限から夕刻にいたるまでの長時間、継之助のやりかたをいちいちあげて痛論し、間違っていると叫び、さらに欠陥をえぐり、その欠陥の基礎になる考え方にまで刺すような論評を加えた。 その批判たるや、かならずしも継之助にとって的を射たものばかりではなく、学者らしい迂遠なところも多い。しかし多少得るものもあり、継之助は大いに物を考える上で刺激を受けた。 それはいい。そういうことよりも小林虎三郎のそういう態度である。仇敵といってもいい継之助から窮迫中に物を恵まれてもいささかの卑しさも見せず、「これはお礼である」といって赤心を面にあらわしつつ鋭く継之助の欠陥をついてきた。 どうも井伏鱒二的に調子よい七五調にはできないので、最後に松本健一が表題に取った代表作はふつうの書き下し文で。 |
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