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頬張りとは?/ レイク

[ 394] ★ルーマニア★ミティティを頬張りながらオスマンの脅威を思う。 - ■【さるみみの見た世界】■ - Yahoo!ブログ
[引用サイト]  http://blogs.yahoo.co.jp/samberasam51/39423184.html

無味乾燥な似非未来建築群が建ち並んでいる街の様子は、マラムレシュの「バイア・マーレ」とかなり似通っています。
私は、マクドナルドで本を読みながら休憩したり、街角をぶらぶらと散歩したりしながら時間をつぶしていました。
そして、それを飲みながら、「チョルバ」というルーマニア風スープを啜り、ひき肉の炭火焼料理、「ミティティ」を頬張ります。
彼らは黒海の北、クリミア半島のクリム・ハン国を服属させ、バルカンのセルビア、ボスニア、ヘルツェゴビナを領有。イラン、サファヴィー朝を破り、エジプトへと進出。
そして、最盛期、スレイマン1世の治世において、ついにオスマントルコは中央ヨーロッパへと侵攻を開始するのです。
その後、帝国は1529年の「ウィーン包囲」や、スペイン・ヴェネツィアの連合艦隊を破った1538年の「プレヴェザの海戦」などにより、ヨーロッパキリスト教世界にそこはかとない恐怖を与え続けることとなります。
キリスト教世界で恐れられていたオスマントルコは、あらゆる民族や宗教が共存するコスモポリタンな帝国だったのです。
自分たちの教義の正しさを頑として主張し、相手の存在すら受け容れない非寛容な態度、虐殺に次ぐ虐殺、ヨーロッパは真っ二つに分裂していました。
ヨーロッパ側からの見方では、オスマントルコはしばしば、まるで悪魔であるかのように捉えられるのが常でした。
実際、オスマン帝国に支配された地域の中には、その安定のおかげで繁栄を謳歌した人々も数多くいたのだといいます。
ヨーロッパの君主たちにとってはともかく、一般の民衆にとっては、オスマンの支配というものはそれほど悪いものでもなかったのかもしれません。
もっとも、その「幻想」というものこそが、ダイナミックな歴史のドラマを形作る原動力となることも常であるのですが……。
僕よりたくさん、色々な国を歩いている。羨ましいな。ルーマニアやハンガリーに行きたいと思っているのですが、何かアドバイスをいただけたら嬉しいな。
先日NHK−BS1でやっていた「奇跡の映像 よみがえる100年前の世界」の中東の回で、オスマン・トルコの崩壊から中東の宗教対立が始まったということがとてもわかりやすく説明されていました。
こちさん、大したアドバイスはできないかもしれませんが、わかる範囲でしたらいくらでもお教えいたしますよ。
イスラムに限らず、他宗教を真に理解することは不可能だとは思いますが、互いの宗教や民族、違った思想を尊重すること、色眼鏡で見たり、レッテルを貼らないことが必要だと感じますね。

 

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